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家族と親戚の話

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「設計と現場日誌」

家族と親戚の話

2012年11月05日
家族のルーツを知る機会を得たような気がしています。
山形県鮭川村の叔母の家を今回建て替えをさせてもらった。
叔母は母の末の妹。
嫁姑関係で苦労している人で、姑さんはまだご健在。
そのためおばさんの家には一度も入ったことがなかった。
解体工事の前日、ご近所の挨拶回りをしたとき、初めて家の中に入った。
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茅葺き屋根の家で、床が傾きだいぶ痛んでいる。風呂はモザイクタイルで水漏れしそうな様子。
やっぱり限界という感じだった。
CIMG1918.JPG
「ここの二階の増築を、あんたのお父さんとおじいさんがやってくれたんだよ。」
初めて知った。父は昔は大工で、祖父もまた大工だった。
私が小学生の頃には、父はふるさと山形から仙台へ移りハウスメーカーの下請けを始めていた。
祖父はというと、その頃はもう大工の仕事をしておらず隠居。遊びに行くと戦争の頃の話をするのが常だった。
父はよく「田舎にいた頃は、紹介紹介で家を建てさせてもらったんだ」と言っていたが、その舞台の一つが母のふるさと鮭川村だったらしいと、今回改めて知ることになった。
鮭川村や山形ではいまでも上棟式をしっかりとやっているようで、近くの公民館を借り大工さんご近所を含め20人近くで宴会となった。
そのときも「あんたのじいさんがね、、、」「あそこの家も建てて、、、」などという話題をご近所の人から聞いた。
9月27日に叔母の家は引き渡しとなり、完成を見に行きたいと言っていた母とともに伺った。
ついでに、子供の頃「農場のおばちゃん」と呼ばれていた津藤さんの家に初めて寄った。
母の叔母で、祖母の妹であるゆうこさんは88歳でまだ元気。私が会うのは小学校以来かもしれない。
こちらの家も不思議と行く機会がなかった。
住所は新庄市だが、開拓地だったので 農場農場と呼ばれていたようだ。
「この家はなあ、公男君(父)とあんたのじいさんが昭和42年に建ててくれたんだ。
「前は平屋だったんだけど後から二階を上げたんだ。そのときの大工さんが「歪みは全然ないよ」と言ってたんだよ。今でもしっかりしてるぞ。」
「あんたが小さいとき、新しい唐紙(襖)に歩いてていったもんで手垢つけられると思って「あ!あ!あ!」って言ったもんだ。」(その時自分は2歳だ)
農場のおばちゃんは、昔のことをいろいろ教えてくれた。
「そんときは123万で建てたんだ!」(安!)
45年前はそんなモンだったんだ。
そして昨日、新宅祝いの席が設けられた。
さすがに田舎でも新宅祝いをする家も減ったらしい。しかし今回は結婚式場でもある玉姫殿だ。
施工者挨拶と言うことで冒頭に挨拶をした。ちょっと緊張した。
祝いの席も終わったところで一本のメール。
水漏れトラブルの連絡だ!非日常から現実へ。
今日もがんばります。


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