社長の柏倉です
小さくても、顔が見えて、長くおつきあい出来ること、
それが工務店にとって大切なことだと思います
大工の家に長男として生まれました
私は、そば処として知られる山形県大石田町に生まれました。お隣はスイカで有名な尾花沢です。
当時、祖父と父は大工で、近隣のお客様からの紹介で家づくりをしていたそうです。
両親の出会いも、お客様からの紹介だったと聞いています。
仙台へ転居し、父が工務店を創業
小学校に入学する年に仙台へ引っ越しました。
この年は当社の創業年ともなります。山形では農家のお客様からの紹介で仕事をしていましたが、農家の収入が減る時代になり、家を建てる人が少なくなってしまったのです。
反面、仙台では当時大規模な宅地造成が始まっていて、市場の大きさを感じたことが、仙台に出る決断をさせたと聞きました。
創業当初は、プレハブメーカーの下請け工務店でした。
現在の実家がある泉ヶ丘に引っ越してからは、出稼ぎや住みこみの大工さんも多く、職人さんと木材に囲まれたなかでの生活でした。
端材がたくさん出るので、当時は薪釜でお風呂を沸かしていました。
よくお風呂当番をさせられたことを覚えています。
大学入学、父とパッシブエアサイクルの出会い
その後、仙台の高校を経て、新潟の大学へと進学しました。
大学では建築を専攻するとともに、高校から始めたラグビーを継続しました。ポジションはプロップといって、スクラムの最前線です。実は他のポジションはやったことがありません。
大学時代の先輩たちには驚かされました。高校時代よりもずっと練習はハードでしたが、笑いながら楽しそうにやるのです。
全体練習が終わっても、自主的にトレーニングする部員が多かったです。
地方の国立大学でしたが、関東甲信越の体育大会で優勝したり、地方大学の全国大会に出場するほどでした。
一方でその頃、会社は大きな転機を迎えます。
父は、大手プレハブメーカーの下請け工務店として、それなりの地位を築いていたものの、パネル工法での結露が多い家に少なからず疑問を抱いていたそうです。
暖かくするために気密性を高めた家なのだから仕方がないか、と思っていたところに出会ったのがPAC(パッシブエアサイクル)工法でした。
しかも、父が大工の頃に手掛けていた木造軸組みの住宅です。
当時、建築学科の学生だった私に、「こういう家づくりを始めたんだ」と嬉しそうに語っていたのを覚えています。
想定外の帰仙、さまざまな悪条件との闘い
大学卒業後、同じPAC工法に取り組む工務店さんにお世話になりました。
4~5年は勉強だと思っていたところ、2年が過ぎた頃に父から
「戻って来い」と連絡がありました。
父は20代から糖尿病だったのですが、その時期は眼底出血で目が見えなくなりそうな状態になっていたのです。
当時は年号が平成に切り替わり、仙台でもバブル景気に入りかけてきた頃です。
注文住宅のご相談があっても、売り土地がなかなか出てきません。
土地の値段がどんどん上がるので、急いで売らないほうが有利だったからなのです。
ハウスメーカーの下請けをしていたほうが、おそらく儲かった時代です。
小さな会社を見つけてくれるお客様は本当に少なかったのです。
ただ、そうした時期にも健康に暮らせる家づくりの勉強をしながら、情報発信をし続けていきました。
今でこそ「健康住宅」は、よく耳にする言葉になりましたが、元祖はPACです。
暖かく温度差が少ない室内を実現することで、湿気がよどみにくくなり、これまでの気密性が高い家で問題になったカビやダニが発生しにくくなるのです。
実際、アレルギー体質やアトピー性皮膚炎の方からもお問合せが多く、後にはシックハウスを心配される方からも多く関心をもたれました。
さらに、本質的だと思ったのは「心の健康」、すなわち家族のコミュニケーションが取りやすい間取りの設計を推奨していたことです。
建築家の故吉田桂二氏が提唱する「広がり空間の間取り」を、仲間の工務店さん達と一緒に勉強しました。
この間取りの考え方は、現在も大切に取り入れています。
忘れられない出来事、倫理観
新築工事が少ない中、受注したリフォーム工事で問題が起きました。
「自分で直接請け負う仕事が入ったので、明日からもう来ません」
と言って、突然職人が帰ってしまったのです。
しかし、そのお客様の工事はまだ中途半端で終わっていませんでした。
儲かる仕事があれば、今の仕事を放棄してしまうなんて、、、
こんないい加減な職人がいるのかと呆れ返りました。
東日本大震災の時も、職人の手が不足しているからといって、人の足下をみるような態度をとる人がいたと聞きます。これは本当に残念なことです。
幸いなことに震災当時、当社がお付き合いしていた職人さんに、そのような人はいませんでした。
しっかりとお客様のことを考えて仕事をする誠実な職人さんは、少なからずいるのです。
そうした人たちと長年の取引をしてきて良かったと感じました。
長くお付き合いいただけることが一番の価値
2015年、父が他界しました。
父が携わってきた木材の仕入れも、現在は私の担当です。
ソフトを使った構造設計や断熱計算を行い、現場管理を行う毎日です。
父の代からのお客様とのお付き合いも続いていて、リフォーム工事をご依頼されることも多くなっています。
当社は小さな工務店ですが、お客様が健康で長く暮らせる家づくりをすること、そして長くお付き合いいただけることを一番の価値と考えて、これからも経営していきたいと思っています。
追伸
当社では、納得できる家づくりを心がけています。
「説得」を仕事とする営業マンはいませんし、しつこい訪問や電話営業等は絶対しません。
ですから、ご関心をお持ちいただけましたら、お問合せや資料請求、見学会などに参加してみてください。